2008年4月20日日曜日

山根先生という人

この決断は私にとって本当に辛いものでした。決断をしてはその数分後にはまた考え直すということを、幾度なく繰り返していました。

その理由の一つに、山根先生の人間としての魅力に大きく影響をされていたことがあります。

もし、”山根先生なんか信用に値しない!”と思えるような方だったら、私はたぶん2007年1月7日から、あんなに悩むことなく、こいぬの心臓手術のことの可能性など簡単に却下することができたと思います。自分の子供の命を預ける人に対して、まずはその医師を信用できるかどうか、それは科学うんぬんの前に重要な事ですが、山根先生の場合、私達にとって、簡単にこの問題はクリアされてしまうような方でした。むしろ、山根先生は出逢ったその瞬間から「この人ならばこいぬの命を救ってもらえるかもしれない」と直感的に感じられる人物でした。人間としてあそこまでのオーラを持った人には私は今まで出会ったことがないくらいの衝撃的な人物でした。その理由は、いまだによくわかりません。ただ、何か1つのことに人生のすべてをかけて全霊を注いでいる人、その道において多くの人から支持を受けている人、いくつになっても目的から逃げずに邁進しつづける人とは、自然にそういう風になるのかもしれません。目には見えない、言葉にもならない、なんともいえないあのオーラは、たぶん、山根先生にお会いしたことがある方ならばご理解していただけると思います。

にもかかわらず、先生は本当に気さくな人で、これもまた私が動揺したもう一つの理由かもしれません。

1月7日、私達は、山根先生の診察が終わり受付で精算を待っていたところ、山根先生がヒョコヒョコと歩いてきました。診察中は、あまりに濃い話し合いでしたので、ついつい忘れていましたが、私は思い出したように、先生に立ち話で、こいぬの歯石が溜まっていること、奥村先生という歯科医の獣医さんに本当は歯石を取っていただこうかと考えていたことを話しました。山根先生は、私が抱きかかえるこいぬをひょいと持ち上げ、自分で手でこいぬをもって「ちょっと見せてね」と歯を覗き込み「そうですね、これは歯石を取ったほうがいいね。じゃ、次回の診察のとき、僕がとるよ」といきなりおっしゃり、手帳を取り出しました。ご自分の手帳をみながら「うーん、じゃあ、1月21日かな・・診察にその日に来てくれれば、その週の金曜日に歯石が取れるようにしておきますね」と言われ、その手帳にペンでこいぬ君の歯石と書いたのです。日本中から多くの方が、山根先生に診ていただくために東京農工大学を訪れているにもかかわらず、ここまでの気さくさ、人間的な温かさは、いったいどこから来るのでしょう・・・山根先生は、本当に不思議な方でした。

そして、先生は別れ際に言われました。
「僧帽弁の手術を決断することは本当に大変なことだと思います。僕は、いつも飼い主さんの犬や猫は、自分自身の子供と同じだと思っています。もし、僕の娘ならば、僕は僧帽弁の手術を選ぶと思う。なぜならば、その方が幸せに生きていける可能性があるからです。でも、本当に大変な決断ですからよく話をしてくださいね。これは、こいぬ君の分までお二人が考えてあげることですから。」

当たり前の医者の言葉でしょ、といわれてしまえばそれだけかもしれません。が、しかし、その言葉を発する先生の立場になって考えてみると、何もかもすべての責任をご自分で抱えての発言でもあるのです。もし、手術が失敗したら、飼い主のすべての恨みは、先生は一人で受け止める事になります。たぶん、過去もそのような経験をされたこともあるでしょう。そして、それ以上に、一人の親として、病気を治してあげた時の喜びをわかっている方だからこその言葉でもあると思います。

「山根先生がこのような人だからこそ、こいぬを託すべきではないか?」
「こういう出会いこそ、運命というのかもしれない」

そう考えては決断をするのですが、かわいいこいぬを目の前にすると、手術の恐ろしさから目をそらしたくなる思いでした。

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