2008年7月30日水曜日

ブログの更新

もともとは、毎週週末に更新するつもりで始めたのですが、前回の更新から一ヶ月以上たってしまいました。

書かなければとは思うのですが、なかなか書けません。ここからのことを書くのは、やはりとても辛く、相当のエネルギーが必要です。

すみませんが、もう少し時間をいただきたいと思います。

2008年6月28日土曜日

手術まで一週間

手術までの一週間、私たちは、こいぬが少しでも楽しい時間を過ごせるよう、こいぬが好きな場所に連れて行ってあげました。




こいぬが一番好きな海のそばの公園では、いつものようにボールを追いかけて遊ばせてあげられませんでしたが、自転車の前のかごにいれて、『治ったら、また遊ぼうね!』と何度も声をかけながら、思い
切り走ってあげました。






鎌倉の梅の名所、光則寺では、バックの中から体半分乗り出して、梅のいい香りを楽しんでいました。





こうして、手術までの一週間、私たち家族は、ゆったりとした、そして濃厚な想い出を刻んでいきました。

2008年6月15日日曜日

手術を前にして

パパとは逆に、私の場合、こいぬの手術の日まで毎日が臆病との戦いでした。パパを見ていると、こいぬが完治するということを信じて疑わず、ここまで信じてあげられていたら、こいぬも幸せだねと思っていました。私は考えれば考えるほど、不安になり苦しくなっていったのですが、不思議なことに、だから手術をやめちゃおうとは一度も考えませんでした。今の苦しみが早く晴れてくれることだけを祈って毎日を過ごしていました。こいぬとは、できるだけこいぬの好きなことをしてあげたいと思い、3人でお花を見に行ったり、海に行ったり、大好きな公園に行ったりしていました。こいぬは思う存分走りたかったのかもしれませんが、基本的にはいつも車や、抱っこや、自転車の籠の中にいれて運動はさせないでいました。こいぬの食欲はいつもどおりでしたし、咳も夜中に異常な程の奇妙な咳を時々するぐらいで、その前後は何事もなく、平然とした日々でした。よく、僧帽弁がひどくなると、肺に水が溜まり、そのために、犬が伏せの状態で眠れなくなるといいますが、こいぬの場合、そんなこともなく、平気で伏せのまま寝たりもしていました。

2月に入り、私は、今までこいぬの内科的治療のために見ていただいていた日本獣医大の小山先生にご挨拶にお伺いしました。先生は大変お忙しい時間を割いてくださり、私が「東京農工大学の山根先生にこいぬの僧帽弁手術をしていただく」ということをお伝えすると「それは決断されたのですか?」と聞かれました。「はい、いろいろと考えましたが決断しました」とお伝えすると、先生は時間をかけてお考えになられた後に、こう仰られました。「たしかに、外科的治療が成功すれば、今のこいぬ君にはベストな治療ですね。残念ながら僧帽弁を薬だけで完治させることはできないですから、正しい決断なのかもしれない。がんばってください。心から応援しています。」

小山先生もまた山根先生がそうであるように、ご自分の生涯で、僧帽弁や他の病気で多くの犬が亡くなっていく事実を日本中の誰よりもまのあたりにしながら、獣医学の道を切り開かれてきた名医でいらっしゃいます。小山先生の進んできた道は、薬の投与を中心とした内科的医療ではありましたが、今回、手術を選んだ私たちに対してそのような励ましのお言葉をかけて頂けたことに、私は本当に感謝をしています。先生のお気持ちのどこかで、手術にはリスクがあることを伝えたかったのかもしれませんし、なぜ内科にしないのか?と問いたかったのかもしれません。しかし、先生は何もそこには触れられませんでした。その様子は、決して投げ出したり、どうでもいいという反応ではなく、非常に思慮深くお考えになられた後の発言だっただけに、私はその先生の態度にとても感銘を受けました。

こいぬが手術を成功し元気になったら、小山先生のところにご挨拶に行こう、それだけが私のできるお礼の言葉だと思いながら、帰宅したことを覚えています。

変わらない日常


私はとにかく手術が成功することを、硬く信じて疑いませんでした。
自分は本当はとても臆病な性格で、常に様々な最悪の事態を頭の中でシミュレートし、その事態が起こったときのショックを予め和らげようとするたちです。
しかし、このときは全く逆で、手術がうまくいったときのことを常にイメージして過ごしていました。こいぬが再び公園で思う存分遊ぶ姿を思い浮かべると幸せな気持ちで満たされていました。失敗した時のことが脳裏をよぎることは一瞬もありませんでした。
ですから手術までの3週間弱、何か特別なことをすることも無く、今までどうり変わらない日々が過ぎていきました。ただ違ったのは、運動を最低限に抑えたことと、今までの薬に加えてジキタリス系の強心薬を飲ませることになったくらいでした。

2008年6月1日日曜日

2007年1月26日-東京農工大学 手術前の最後の診察

2007年2月14日をこいぬの手術日と決めていましたので、その2週間前の金曜日が事実上、最後の診察日となりました。いつもどおり、エコーやレントゲンをやりましたが、前回からたった2週間しかたっていないにも関わらず、あきらかに素人でもわかるぐらいに、こいぬの僧帽弁閉鎖不全症は進行していました。たしかに、この前後で、こいぬの咳は、夜中になると毎晩というほどに頻度が増えていましたし、またその音も水を吐き出すような「ゲホッゲホッ」というとても苦しそうな濁音でした。犬の咳はよく「カッ」という咳というよりもくしゃみに似た音を出すと言いますが、このころの時期のこいぬの咳は、それとはまったく異質のものでした。

その日、農工大で「こいぬ君の僧帽弁はあきらかに悪くなっています。よって、手術自体にもリスクが高まっていますが、手術をしないと進行は更に早まる危険性も高いでしょう」と言われました。前述したとおり、私たちは既に手術を決心していましたので、その言葉で気持ちが揺らぐことはありませんでしたが、それでもリスクの高まりまでは想定していなかったので、この日は本当につらかったことだけを覚えています。

僧帽弁は、一度悪くなるとその勢いで更に進行するといわれています。こいぬの今回の悪化がもし仮にその予兆だとすると、極端に言うと、2週間後の手術すら決行できないかもしれないと言われました。手術では手の施しようのないほどに僧帽弁が進行しているケースがあるそうです。しかしそれは開けてみないとわからないので、手術当日、胸をひらいてみて、下手すると何も手術せずに閉じるかもしれないということでした。手術を決意した今、私たちはとにかくこいぬが手術まで何事もなく過ごせる事を第一に考えました。そして、後は手術が成功することだけを、毎日祈るだけの繰り返しでした。

こいぬは、咳をする以外は食欲もあり、また遊びたいという欲求も今まで通りでした。ボールを持ってきても、外に出たがっていました。私たちはそれを止めていることがとても辛かったのですが、この間に僧帽弁が少しでも進行してしまうことだけは絶対に避けなくていけないことだった為にすべてのお遊びをやめていました。お散歩だけは、ほんの少しだけ歩くようにしていました。しかし一方で私の頭の片隅には、手術がもし成功しなかったら、こいぬにとっては最後のお遊びかもしないのに、と思うと、切なくてかわいそうでなりませんでした。

こいぬには「手術が終わったら、おもいっきり遊ぼうね。頑張ろうね」といつも声をかけていました。こいぬの僧帽弁手術の日まで、後19日です。

2回目の診察


自分でも本当に情けないと思いますが、2回目の農工大での診察の事は、ほとんど思い出せません。
とにかく、先生に告げられたのは、前回の診察よりも急激に悪化しているということです。そして、今思い出せる事は、先生の説明を聞いているうちに貧血になってしまい、その場にうずくまってしまったことだけです。

2008年5月18日日曜日

手術のタイミング


山根先生が仰るに、仮に手術をするとしてもいつがベストのタイミングかを決めるのが非常に難しいということです。

勿論、早くやればそれだけ、まだ体力があるので、成功する確率は高くなります。

しかし、仮に成功したとしても、何年か後にはまた再発する可能性が無いとはいえません。特に、人工弁への置換を行った場合はやはり、経年劣化を考えなければなりません。もしそうだとして、その時に再手術というのはあまり現実的ではありません。年齢のこともありますし、癒着という問題があるからです。
また、確かにエコーでは進行が認められても、実際にはピンピンしているときに、あえてリスクを取って手術するというのは、やはり決断しずらいものです。

しかし私は、前にも書いたように延命ということよりも、もう一度思いっきり公園で走らせてあげたい、ということを考えていましたので、仮に手術をするならば一日も早く元気なうちにと決めていました。

苦悩の末に

 心配そうな顔をするこいぬ
 私を励ますこいぬ

昨今、犬の寿命が延びていると言われていますが、心臓病が発覚する前まで、こいぬは少なくとも16、17歳位は、うまくいけば20歳までは生きると本気で考えていました。今考えると何も根拠はないのですが、それ位にこいぬとの繋がりを信じていたのだと思います。

僧帽弁閉鎖不全症を告知された時、こいぬは8歳でした。獣医さんには「うまくいけば数年は生きられます」と励まされましたが、その数年というのはたとえ5年だとしても13歳。しかもその数年で確実に心臓は悪くなり、その間に何度も苦しい思いをし命を落とすこともありえます。人間でいうと、手の施しようのない少し遅い進行性の癌に近い、、といっても過言ではないと思います。

私たち夫婦は、こいぬの心臓病を宣告されてから何度も話し合いをしました。宣告された当初は冷静でいられませんでしたが、それでもひとつだけ決めたことがありました。それは”こいぬのためにいいこと”を何よりも優先して決断するということでした。いつか訪れるかもしれない僧帽弁の独特の苦しみ、いわゆる肺水腫などがきた時に、こいぬが本当に辛そうにしていたら安楽死をさせることになるかもしれない・・・ということも話し合っていました。

手術の選択を前にして、
「こいぬが人間だったら、こいぬはどんな決断をするだろう?私がこいぬの立場だったら手術を選ぶかな?」
こいぬを撫でながら私はそんな風を考えていました。こいぬは本当に頭のよい賢い子でしたので、私が心配そうな顔をするとすぐに察するようにじーと私を見つめます。私が笑うと彼も笑い返します。だから、彼の前であまり辛い顔ができなかったことも私はとても辛かった記憶があります。

結局、どのように手術を決断をしたのか自分でも覚えていないのですが、決断というよりはむしろ決意を固めていった、という方が正しいのかもしれません。私は、知らず知らずのうちに、こいぬの手術の成功を毎日シュミレーションするようにしていました。そして「みんなでがんばって乗り切ろうね、こいぬなら成功するから大丈夫だよ」と毎日こいぬに声をかけていました。手術をしないと確実に進行はすすんでいき、その時に苦しんでいるこいぬを見て後悔することがあったら私は自分を許せなくなるとも考えました。決断という程かっこいいものではなく、そんな風にしながら自分の中の気持ちを少しづつ整理させて、手術に挑む勇気をつけていったような記憶があります。

それでも、一人になると私はいつも泣いていました。こいぬの手術が失敗するのではないかと不安で不安で、なぜか頭の中には、失敗する瞬間のシーンが浮かんできてしまうのです。パパとこいぬと離れて一人になると、急に不安が増すのか、緊張から開放されるのか知らない間に涙が溢れてきてしまうのです。友達に会っていても、実家の家族にあっていても、会社の同僚や部下と仕事の話をしていたときですら、手術への不安がまったく解決されない状況でした。そのため、いつだれにあってもすぐに、私は手術の話をしていました。きっと周りの人の中には、犬のための手術でここまで考えるなんて変と思った人もいたかもしれません。

そんな風にしながら、時間が刻一刻と過ぎていったのです。

2008年4月20日日曜日

山根先生という人

この決断は私にとって本当に辛いものでした。決断をしてはその数分後にはまた考え直すということを、幾度なく繰り返していました。

その理由の一つに、山根先生の人間としての魅力に大きく影響をされていたことがあります。

もし、”山根先生なんか信用に値しない!”と思えるような方だったら、私はたぶん2007年1月7日から、あんなに悩むことなく、こいぬの心臓手術のことの可能性など簡単に却下することができたと思います。自分の子供の命を預ける人に対して、まずはその医師を信用できるかどうか、それは科学うんぬんの前に重要な事ですが、山根先生の場合、私達にとって、簡単にこの問題はクリアされてしまうような方でした。むしろ、山根先生は出逢ったその瞬間から「この人ならばこいぬの命を救ってもらえるかもしれない」と直感的に感じられる人物でした。人間としてあそこまでのオーラを持った人には私は今まで出会ったことがないくらいの衝撃的な人物でした。その理由は、いまだによくわかりません。ただ、何か1つのことに人生のすべてをかけて全霊を注いでいる人、その道において多くの人から支持を受けている人、いくつになっても目的から逃げずに邁進しつづける人とは、自然にそういう風になるのかもしれません。目には見えない、言葉にもならない、なんともいえないあのオーラは、たぶん、山根先生にお会いしたことがある方ならばご理解していただけると思います。

にもかかわらず、先生は本当に気さくな人で、これもまた私が動揺したもう一つの理由かもしれません。

1月7日、私達は、山根先生の診察が終わり受付で精算を待っていたところ、山根先生がヒョコヒョコと歩いてきました。診察中は、あまりに濃い話し合いでしたので、ついつい忘れていましたが、私は思い出したように、先生に立ち話で、こいぬの歯石が溜まっていること、奥村先生という歯科医の獣医さんに本当は歯石を取っていただこうかと考えていたことを話しました。山根先生は、私が抱きかかえるこいぬをひょいと持ち上げ、自分で手でこいぬをもって「ちょっと見せてね」と歯を覗き込み「そうですね、これは歯石を取ったほうがいいね。じゃ、次回の診察のとき、僕がとるよ」といきなりおっしゃり、手帳を取り出しました。ご自分の手帳をみながら「うーん、じゃあ、1月21日かな・・診察にその日に来てくれれば、その週の金曜日に歯石が取れるようにしておきますね」と言われ、その手帳にペンでこいぬ君の歯石と書いたのです。日本中から多くの方が、山根先生に診ていただくために東京農工大学を訪れているにもかかわらず、ここまでの気さくさ、人間的な温かさは、いったいどこから来るのでしょう・・・山根先生は、本当に不思議な方でした。

そして、先生は別れ際に言われました。
「僧帽弁の手術を決断することは本当に大変なことだと思います。僕は、いつも飼い主さんの犬や猫は、自分自身の子供と同じだと思っています。もし、僕の娘ならば、僕は僧帽弁の手術を選ぶと思う。なぜならば、その方が幸せに生きていける可能性があるからです。でも、本当に大変な決断ですからよく話をしてくださいね。これは、こいぬ君の分までお二人が考えてあげることですから。」

当たり前の医者の言葉でしょ、といわれてしまえばそれだけかもしれません。が、しかし、その言葉を発する先生の立場になって考えてみると、何もかもすべての責任をご自分で抱えての発言でもあるのです。もし、手術が失敗したら、飼い主のすべての恨みは、先生は一人で受け止める事になります。たぶん、過去もそのような経験をされたこともあるでしょう。そして、それ以上に、一人の親として、病気を治してあげた時の喜びをわかっている方だからこその言葉でもあると思います。

「山根先生がこのような人だからこそ、こいぬを託すべきではないか?」
「こういう出会いこそ、運命というのかもしれない」

そう考えては決断をするのですが、かわいいこいぬを目の前にすると、手術の恐ろしさから目をそらしたくなる思いでした。

山根先生の診断②-2007年1月7日

犬の僧帽弁閉鎖不全症は、一般的にとても多い病気です。しかし、ほとんどの書物や獣医さんは、一度発病すると治療法はないので、どう進行を遅らせるか、楽に過ごさせてあげるのか、ということをテーマに治療をすると言われています。山根先生は、そんな獣医会の常識に自ら挑戦をし、人間界同様に僧帽弁を外科で治すことを先生自身のライフワークにされています。

先生にお会いし実際にお話をすると、どんな書物を読むことよりも先生が研究されてきた犬の僧帽弁閉鎖不全症の手術の可能性についての識見が一気に高まります。また、薬の投与で僧帽弁の負担を軽くするという内科的治療に対する考え方も、今までとは違った視点で見るようになります。

「犬の僧帽弁は完治は無理だと思っていたけど、それはもしかしたら違うんじゃないの?だとしたら、このまま薬を与えるだけでいいの?手術をするべきじゃないの?でもリスクは高いし、もし、こいぬが手術中に死んでしまうようなことがあったら、そんなかわいそうなことは絶対に耐えられない・・・」

私は”何がこいぬにとって一番いいのか?”を考える前に、”もし、手術中に何かがあり、こいぬが死んでしまったらどうしよう?”ということをどうしても考えてしまい、冷静に手術の決断ができない状況に陥っていました。

山根先生と話をしながらも、頭の中はぐるぐるとそのことばかりを考えていました。いくら、先生に向かって「リスクはどれくらいですか?何パーセントぐらいの確立成功するのですか?」と問い詰めても、先生すらそれは知る由もないのです。そうはわかっていても、果たして僧帽弁の手術はどれくらい成功するのか?万が一の場合はどうなってしまうの?そればかりを考えて、失礼とは思いつつも先生に問うていました。

当たり前ですが、僧帽弁の手術リスクは確実にあります。何が一番なのかはわかりませんが、私が聞いた限りでは、術中に心臓を止めて代わりにつける心肺措置の適合や、手術が成功したとしても意識を取り戻さないケースもあると聞きました。また術後、僧帽弁が完治した時に、周囲の内臓に対する影響もありえるということでした。要は、やってみなければ、どれだけ延命できるのか、完治できるかはわからないのです。一方、もちろん成功しているケースもたくさんあります。実際に、私は見ていませんが主人は山根先生が何かのテレビに出ていてそのケースは僧帽弁が完治していたと言っていましたし、私たちが先生にお会いした前の週は、台湾からきた1歳の犬が、同じく僧帽弁の手術をし、その後元気に回復しているということでした。

要するに、この決断は、私たち自身が「こいぬにどうしてあげたいのか?」「こいぬとこれからどんな生活を送りたいのか?」ということを、本気で考え抜き、そこにはリスクがあったとしても、それも含めて、手術を決心するかどうかだけの問題でした。

山根先生は「ゆっくり考えたらどうですか?」とおっしゃりましたが、手術をするならばそこまで進行していないうちにする方が全然リスクが低いということで、私達は一刻も早く決断をすべき時期でもありました。山根先生とのその日のお話では、もし、手術を最短でしたいならば「2月14日(水)ならば空いています」と言われました。そして、その日を過ぎたら、その後は3月以降になるということでした。

東京農工大学動物医療センターは、毎週水曜日が手術日になります。犬の僧帽弁閉鎖不全症の手術は、山根先生曰く、心臓疾患の中では軽い方らしいのですが、それでもかなりの大きな手術になるので、何週間に一度しかできないことや、山根先生自身がすべて手術されるので当然、当日は一匹しか手術ができません。

初めてお会いした日が1月7日。そして、すぐに手術を決断するならば、最短で2月14日。ちょうど、こいぬの僧帽弁閉鎖不全症が発覚してから約1年。限られた時間の中で、とにかく後悔のない決断をしなくてはいけないことのプレッシャーが私には重く圧し掛かっていました。

今、ここで手術の選択肢から逃げ出すことは、ある意味では非常に容易なことでした。なぜならば、こいぬがそこまで、普段、心臓病で辛そうにしていないために、こいぬを見ているとこのまま何も起こらず、元気なままでいられるんじゃないか?と思えるからです。しかし、冷静に考えるとその可能性はほとんどありえないのです。こいぬの僧帽弁の進行は少しではありますが既にこの数ヶ月でも進んでいましたし、山根先生のアシスタントの葉山先生によると、僧帽弁はある時期から急に進行は早まるので、そうなると非常に早い速度で明らかに悪くなるし、肺水腫を起こしたり咳が止まらなくなることが頻繁に起こり出す、と言われていました。こいぬがいつ、そのような状態になるのか、そう考えると、手術のリスクとは別の意味で、胸の奥が詰まり声も出なくなる思いでした。

先生にお会いした日、私は山根先生に出会えた喜びとは、別のところで、先生に出会ってしまった自分達の運命を恨んでいました。「なぜ、ここまで辛い決断をしなくてはいけないの?こいぬが何か悪いことをしたの?」心臓病である事実を忘れ、私はこの決断自体のプレッシャーで心が張り裂けそうな思いでした。


■少し古いですが、山根先生の文献です。
http://72.14.235.104/search?q=cache:ZsQHr6_e1gcJ:www.tuat.ac.jp/~kathy/Ima_NOKO/yamane.doc+%E5%83%A7%E5%B8%BD%E5%BC%81%E3%80%80%E7%8A%AC%E3%80%80%E6%89%8B%E8%A1%93%E3%80%80%E5%B1%B1%E6%A0%B9&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp

決断

山根先生にお会いした瞬間から、わたしの中では、もう気持ちは固まっていました。

今ならばまだ、そこまで進行していないので、手術の成功の可能性が高い、でももし時間を経て進行してからでは、リスクが高まるということなので、もしやるのらば今すぐやるべきと思いました。そして、成功すれば、心臓の事を心配することなく、また昔のように思いっきり公園で走り回れるのです!

私にとって、こいぬが僧帽弁閉鎖不全症になって何よりも辛かったのは、それをさせてあげられないことでした。もし、内科的治療で進行を遅らせたとしても、毎日少しでも心臓に負担がないよう、激しい運動をさせないよう、本人にも我慢を強いた生活を送らせなければならない。そうやって、寿命が延びたとしても、それで本当に幸せな一生だと言えるのか?私はそのことを悩んでいました。

それから、もう一つ、山根先生に任せたいと思った理由があります。それは、先生が以前、『動物のいたみ研究会』という会も主宰されていたことです。犬や猫の手術の際、獣医師によっては、「必要ない」「副作用が心配」などの理由で鎮痛剤を使わないことがあるそうです。先生は、「痛いと訴えることができない、動物の痛みを、獣医師も飼い主も、もっと理解する必要がある」といっておられます。

先生は、単なる延命治療を施しても意味がない、本当に重要なのは、本人が苦しまず、楽に生きていけることだと強調されておられました。このことこそ、私がこいぬに一番してあげたいことでした。たとえその為に、こいぬの寿命が短くなっても、辛いのは自分達であって、本人にとってはその方が幸せなはずです。

この病気が発覚するまでは、こいぬとの最期のお別れのイメージは、自分のひざの上で安らかに眠るように息を引き取っていくというものでした。しかし、この病気になって、それは叶わぬ夢のように思われました。もし、こいぬがもっとおっとりした性格で、運動量も多くない犬だったとしたら、内科的治療でもそれ程進行せずに、安らかな老後を送れたかもしれません。でもこいぬの場合、薬で進行を抑えたとしても、結局は苦しみながら末期を迎えるという可能性が高いように思われました。もしそうであれば、最悪、手術がうまくいかなかったとしても、先生にお任せすれば、少なくとも痛みや苦しみからは逃れられると信じることができました。


しかし、妻は手術すべきかどうか、気持ちの整理が全くつかないようでした。

2008年4月13日日曜日

初めての診察

こういう人のことを、オーラに包まれているというのでしょうか? 


まずはお会いしてお話を伺ってから決めればいい、と思って診察の予約を入れたものの、頭の中で様々な可能性が渦巻き、診察の直前まで、逃げ出したいような気持ちでした。

しかし、先生のおられる部屋に入った瞬間、胸の中につかえていたものが、すーっと消えていくのが分かりました。そして第一声が『朗報です』の一言。 文字通り目の前がさーっと明るくなりました。

病気を治すために重要なことは、本人や、周りの人がポジティブな気持ちを持ち続けることだということが、科学的にも証明されているそうです。 『この先生に任せればきっと良くなる』と思えるだけでも、絶大な治療効果だと言えるはずです。

山根先生の診断①-2007年1月7日

東京農工大学家畜病院(現:動物医療センター)での初診では、その日のレントゲン、カラードプラー、心電図等を検査することから始まりました。日獣医でとった今までのレントゲンや心電図を持参していましたので、その推移をみることで進行の具合も知りたいとのことでした。

こいぬを預けて30分位後、私たちは部屋に呼ばれました。大学病院の診察室というのは、多くの患者さんが同時に入れるように縦並びに小さな部屋で区切ってありますが、その奥には大広間なところで繋がっていて、そこで先生方が作業しているようです。私たちは小さな診察室を横切りその大広間まで進みました。そこにはこいぬの資料をじっとみつめた山根先生が私たちを待っていました。

以下、できるだけ記憶に忠実に山根先生との会話を書きます。ただし、記憶が定かでないことと、私たちの知識不足で多少本当と違うことがあるかもしれませんがお許しください。
Y(山根先生) We(私たち)


Ya「朗報です!藤原さん」開口一番、山根先生はそうおっしゃいました。

We「こいぬの僧帽弁閉鎖不全症は、外科手術で治す事ができるのでしょうか?」

Ya「今ならば、進行がそこまで進んでいない。今だったら僧帽弁の腱索がほんの一部断裂しているだけなので弁輪や腱策の修復で対応が可能でしょう。それは、僧帽弁閉鎖不全症の外科的治療の中では一番簡単な方法なのです。もちろん、それでもリスクはあります。」

あまりの事の速さに、突然に開けたこいぬの道をにわかに信じがたく、同時にそれでもリスクのある手術だといった山根先生に対して、私は何も言葉を交わす事ができなくなってしまいました。外科手術で知りうることをすべてこの場で確認をしなくては・・・・そう思いつつもなかなか言葉にならないのです。

We「人工弁への置換は必要ないのですか?」

Ya「もちろん、僧帽弁の場合開けてみないと何もわかりません。しかし、今の状況を診る限り(レントゲンやカラードプラ-)では、置換ではなく、形成、いわゆる弁輪や腱策の修復でいけると思います。ただ、万全を期するために、実際に手術をする際には、こいぬ君に合うだろうと思われる”置換弁”を用意はしておきます。今、その置換弁について、研究をすすめているのですが、同じ動物の弁を用いることあ多くなりました。それらを何種類も手術の際には用意しておいて、その犬にぴったりと合う弁を瞬間的にみつけていくのですが、これが結構難しいのです。今回のこいぬ君の場合、その必要はないと考えているので、その分だけ可能性が高いのです。」

We「それでもリスクがあるんですよね?」

Ya「それはありますね。まず、心臓病の手術の場合、心臓をとめなくてはいけない。以前は、心臓を停止した時に使う人工心肺が動物用ではなかったのですが、それは私が何年もかかって開発をしてたので、今では普通に使えるようになりました。しかし、その心臓をとめる時間が長ければ長いほど、リスクが高くなるということです。他の臓器への影響、血圧、血流、脳への負担、そのすべてが通常に回復してくれるのか、それはその時間との勝負、そしてその子の持っている生命力次第です。今回の場合、置換の必要がない程度なので、そういう意味で時間がかからない手術ができる可能性が高いのでその分だけ有利ということになります。また、それ以外のリスクとして、他の臓器がすでにこの状態(僧帽弁閉鎖不全症)に慣れてしまっているので、かえって正常の心臓の動きに戻した時にもう一度その正常値に順応できるかどうか、というのもあります。それもその子の生命力に関係します。」

We「こいぬは今9歳なのですが、年齢についてはどうなんでしょうか?」

Ya「年齢については確かに若ければ若いほどいいですね。それは生命力、その後の回復力が強いということです。9歳というのは、そういう意味ではギリギリなところでしょうか。ただし、急性心臓疾患などで、外科的手術をしないともう確実に助からないという場合は、どんな年齢でもチャレンジはしています。」

We「手術が成功した場合、その後の生活は?」

Ya「もちろん、その子によりますが、基本的には生活が元通りに戻った=寿命がのびた、と捕らえていただいて大丈夫です。ただ、その後、数ヶ月は定期健診が必要です。また、人工置換と違い、”腱策修復”の場合はその腱策が弱くなる可能性、いわゆる再発の可能性がありますが、9歳であれば、数年後というのはもう寿命の年齢なので仕方ないでしょう。それよりは、僕は本来の犬の寿命までの残された数年間をどう過ごすのか"quality of Life"を重視していますので、その場合、外科的手術をする可能性というものあっていいのではないかというのが考えです。」

We「要するにそれは、このまま内科的治療を続けて、徐々に悪くなることがわかっていても薬の治療を続けるのか?または外科的治療にかけてみて、残された数年の生活を元気に過ごさせてあげるか?自分たちが過ごせるか?という意味ですか?」

Ya「そうですね、ただ、考えてほしいのは、外科手術には相当な覚悟が必要ということもあります。リスクはないとは断言できないし、実際にだめな場合もあるんです。僕ができるのは、その選択肢を広げてあげることだけなので、そこはよく考えてください。自分は、今まで何百、何千の犬の手術をしてきた。それから大学機関にいることで、また人間ではない動物という意味で本来ならばできない臨床研究もすることができた。その結果として、今、小動物の心臓病の外科手術においては、欧米等に劣らず、日本が世界で最先端にいるといえるまでになった。また、人間の心臓外科の名医の先生との共同研究や交流もしていて、それでもやはり動物の方がずっと難しいということがわかった。先日も、台湾や韓国からわざわざ手術をしに来た人もいまいたし、欧米やアジア諸国から手術や研究の見学にも来られています。特に小動物の心臓病疾患は外科治療でももっとも難しい分野なのです。僕は、少しでも未来に繋がることをやりたい。動物も人間も同じなんです。僧帽弁は人間の場合、ほぼ100%手術治療していますよね。それで生活を取り戻せる。飼い主さんにとっては動物も同じなんですよ。・・・あなた方の決断は難しいでしょう。どちらが正しいとはいえないのですから。よく考えてあげてください。時間をかけてでもいいから、よく二人で話し合って。」


山根先生は、とても真剣に、そして少し苦しそうに今の現実とこいぬの未来について、正直にすべてを話してくださいました。主人も私も、この1年間戦ってきたこいぬの難病の大きな岐路に出会った瞬間であることは、すでに十分すぎるぐらいに感じていました。山根先生と話したのは1時間程度の短い時間でしたが、私の生きてきた少ない35年間の人生で、もっとも心を奮わせた人であることは事実でした。

2008年4月6日日曜日

東京農工大学への面会予約-2007年1月7日

■東京農工大学 動物医療センター 山根教授
http://www.tuat.ac.jp/~animalhp/contents/info04.html

坂本さんの本には、僧帽弁閉鎖不全症の手術を行う東京農工大学 動物医療センター循環器の山根先生へのインタビュー、そして僧帽弁が完治した事例が紹介されていました。私たちは、今までも手術については調べてはきましたが情報がまだまだ少ない状況で理解不足のままでしたので、私はその本を読んだ瞬間、夫のところへ行き、朗読をしてしまう位に衝撃を受けました。

何度となく外科的治療の可能性を考えてはもみ消してきた私たちにとって、その本に書いてあった山根先生のインタビュー記事は心を揺らがすものでした。こいぬの病気が発覚してから1年弱、今まで”治る”という選択肢をあきらめていた先行きの暗い道に、一つの新たな道があるかもしれない・・・そうならば、山根先生に会うしかない!そう強く決心した2007年のお正月でした。

2007年1月7日、こいぬが初めて山根先生に出会った日。
「獣医界のブラックジャック」と言われている山根先生はたしかに手塚治の漫画に登場しそうな白髪交じりの貫禄のある風貌で私たちに優しく、とても力強い言葉で話を始めました。

二歩先を行く獣医さん

それは、2006年の年末、宮古島へのこいぬとの旅行から帰ってきたときのことでした。妻が見つけてきた本に、僧帽弁閉鎖不全症の手術について詳しく書かれているのを発見しました。

その本には手術には大きく分けて、悪くなった弁を人工の弁と取り替える、人工弁置換手術と、弁の悪い部分を切り取ったり縫い合わせる、弁形成手術の二通りの方法があることが、説明されていました。 そして、それぞれの長所と短所、そして何よりも、その手術を手法を開発し、成功を収めている先生のことが書かれてありました。

それまでも、手術という可能性について考えたことは、何度もありました。しかし、人間の場合は成功率が100%に近い手術なのに、犬の場合はそこまで成功率が高いわけではないということで、選択肢からは全く外していました。

しかし、この手術の成功のために、真剣に取り組んでいる獣医さんがいることを知り、少なくとも、お話を伺うだけでも意味があるのではないか、と考えたのでした。

2008年3月30日日曜日

パパの読書を邪魔するこいぬ



パパが本を読んでいると、こいぬはすぐに邪魔をしようとします。僕と遊べ!と言わんばかりに、頭に乗ってきて体を摺り寄せてきます。何ども邪魔をしようとしては、パパに嫌がられ、そのうちに諦めて、パパに体をくっつけたまま寝てしまうこともよくありました


コーミング

こいぬのコーミング(くし)はほぼ、毎日やっていました。敏感な部分は少し痛いらしく、くしに向かって怒りをぶつけます(写真)。

ですから、こいぬにとって、コーミングは毎日の試練だったはずなのですが、あきらめていたのか、私がくしを取り出すと、自分からトボトボとやってきて、私に背を向けて、お座りするのです。

前にも書きましたが、こいぬにとって、なにか不快なことをされることは、自分にとって良いことをしてもらうことだと理解していたのだと思います。

そういう意味で、何故歯磨きも毎日してあげなかったのか、悔やまれてなりません。

杉並犬猫病院へー2006年11月

先日も書きましたが、心臓病と付き合う上で、歯は非常に重要なことです。

こいぬの場合、歯をきちんと磨く習慣がなかったこと為スケーリングをしていましたが、心臓病発覚後、麻酔をかけることができなくなり、歯は大きな問題になりました。情けないながら、当時はシリアスに捕らえていませんでしたが、歯を磨く習慣もありませんでしたし、それ以前に心臓病が発覚した時にはすでに歯石がついており歯周病に近い状態だったと思います。

色々と調べて歯を専門にした獣医師の先生がいるということがわかりました。歯科・獣医学博士の奥田綾子先生という方です。色々と悩みましたが、結局、奥田先生に診ていただくことを決意しました。杉並犬猫病院に毎週月曜日に特別診療で奥田先生がいらっしゃるので、まずは一度杉並犬猫病院の一般診断にかかり、その後予約をとって、約1ヶ月がかりで奥田先生にお会いすることができました。

「あなたたちは一体いままで何をやっていたの!」
初めてお会いした奥田先生は、こいぬの歯の状態をみて、私達に向かって大声で怒鳴るようにいきなりそうおっしゃいました。

一瞬、私は先生が、なぜそんなに怒っていらっしゃるのか、わかりませんでした。 私も主人も、奥田先生のように、感情を表に出してまでこいぬのことを心配してくださる獣医さんにお会いしたことがなかったので、最初は困惑しましたが、お話しをしているうちに、要するに「飼い主として、心臓病の子に歯周病を併発させるなんてことをなぜしたのか!もっと、早くから歯を磨いたり、予防することができなかったのか?」ということでした。それ位に、こいぬの歯の状態がよくなかったのだということですが、かといって麻酔をかけるリスクを考えると簡単にスケーリングもできる状態ではない、、、そのどうしようもない程の状況にもっていってしまった私たちに強い憤りを感じられたのだと思います。

奥田先生のおっしゃるとおりです。後悔先に立たずです。先生とは、かなり長い時間話をし、結局、こいぬの場合は、このままの状態にしておくと歯が悪くなってしまうので、リスクをとってでも麻酔をかけて、スケーリングをした方がよいので、2ヵ月後にスケーリングをすることになりました。そこで、私のほうではまずは日本獣医大の小山先生にご説明し、こいぬに麻酔をどの程度ならばかけられるのかということをご相談することになりました。

また、その日から毎日歯を磨き、状態を悪くしないことを奥田先生とは約束しました。歯の磨き方を獣医師さんに教わることは初めてでしたが、先生は丁寧に歯の磨き方を教えてくださりました。ドラッグストアにある綿を買ってきて、自分の指に巻きつくくらいに小さく切り、中性水を少しつけて、嫌がらない程度に毎日磨くのがいいということでした。ただ、歯磨きで重要なことは、まずは歯を触ることを嫌がらないようにすることなので、最初のうちは、歯を磨かせてくれたら、ご褒美をあげたり、食事前に歯を磨いて、ご褒美がわりにご飯をあげてもいいので、絶対に強制はしないようにといわれました。

こいぬは、最初うちは歯みがきを嫌がりましたが、徐々に慣れてくると、私が歯磨きセットを取り出すと自分から諦めてなのか、トボトボ私の膝に乗るようにまでなりました。その後のご褒美には、「手作りのそば粉とアボガドのクッキー」をあげていましたがそれが欲しかったのだと思います。

2008年3月23日日曜日

こいぬと旅行

こいぬとは色々な所に一緒に旅行しました。病気が分かってからも、特に控えるというようなことはせず、むしろ今まで以上に行くようになりました。

病気だから家で一緒にじっとしているというのではなく、お互いストレス無く、楽しい時間を過ごすことが大事だと思いました。勿論、それは、こいぬ自身に辛そうな症状が殆ど無いこともあり、また、私達自身も、まだまだ何年もこいぬの病気と付き合っていかねばならないと考えたからでもあります。

この年(2006年)の9月には伊豆、11月には宮崎、そして12月には沖縄の宮古島に行きました。宮崎へは初めて飛行機に乗りました。飛行機ではケージに入れたうえで、ペット用の貨物室に乗せられます。気圧や温度の管理はされているので、大丈夫だとのことでしたが、さすがに、初めての体験で、怖がったり興奮してしまい、心臓に負担をかけるのではないか心配でしたが、降りた後も何事も無かったかのように落ち着いていたので、問題はなかったと思います。実際、宮崎に行った直後に、日本獣医大でレントゲンとエコーの検査をしましたが、前回と全く変わっていないと言われました。







沖縄の海で、何故か尻込みするこいぬ。

2008年3月16日日曜日

自覚症状?


犬の病気辞典などでは、僧帽弁閉鎖不全症が進行すると起こる症状に、咳が頻繁になる、散歩中に肩で息をする、食欲不振などが挙げられています。さらに進むと横を向いて寝ることも困難になるとあります。

しかし、こいぬの場合は、咳をするといっても明け方に1-2回程度ですし、その時も、全く苦しそうではありませんでした。食欲も手作り食に変えてからむしろ以前よりも増したようでした。そして、お気に入りのおもちゃを持ってきては遊んでくれとせがむのでした。もし心エコーをやっていなければ、最後まで心臓が悪いとは気付かなかったことと思います。

寝るときも写真のように、相変わらずへそを丸出しで寝ていました。『いつかこんな風に寝ることができなくなるのだろうか?』そう思うと、こいぬの寝姿が、一層愛おしく思えるのでした。

2008年3月15日土曜日

歯のこと

こいぬはそれまで、1年に一度、スケーリングで歯垢歯石をとってもらっていました。しかし、スケーリングをするためには、全身麻酔が必要でしたので、病気発覚後、今後、こいぬの歯をどうやって歯周病から守るのかこれは、とても難題でした。当時、私たちは、こいぬに歯磨きをほとんどしてあげていませんでした。もちろん何度かチャレンジはしたのですがすごく嫌がるので、あきらめてしまっていたのです。近所の獣医さんからも、「嫌がるならば無理に歯磨きをしなくても、年に一度スケーリングをすれば、大丈夫ですよ」と言われ、その言葉に甘えてしまっていました。

しかし、心臓病になってから歯周病の恐ろしさを知り、その時には、毎日歯を磨きをしていなかったことを本当に後悔しました。スケーリングは、確かにきれいになりますし、飼い主にとっては獣医さんに預ければ済むので簡単な処理です。しかし、1年に1度のスケーリングなどでは、歯周病を完全に防ぐこともできないし、また歯周病菌や毒素は、炎症をおこした歯肉や歯周ポケットから血管に入って心臓や腎臓、肝臓や肺にまでたどり着き、内臓をむしばむこともあるそうです。要するに、毎日の歯磨きをしていなかった事が、何かしらこいぬの心臓に悪影響があったかもしれないのです。

しかも、こいぬは心臓病が発覚した時、前回のスケーリングから既に数ヶ月経っていましたので、歯石も溜まり始めていましたし、また突然、私が歯磨きをはじめてもなかなかさせてくれませんでした。しかし、全身麻酔を伴うスケーリングをさせるわけにはいかず、八方塞がりの状況でした。

心臓病が発覚してから数ヵ月後、確か秋頃だったと思います。こいぬが急にご飯を食べなくなり、顔の右側を床にこすり付けてたり、前足で自分の口の辺りを何度も拭っていた時期がありました。すぐに獣医さんに連れて行くと、それは歯が炎症を起こしているということ。このままでは、歯が抜けるかもしれないし、場合によっては、顔に穴が開く!事もあると言われました。本当ならば、麻酔をして歯を抜くらしいのですが、こいぬは麻酔ができないので、とりあえず、消炎剤のみで様子を見ることになりました。結局、5日ぐらいで炎症は治まり、歯も抜けずに皮膚の穴も開かずに済みました。

このことを機に、いままで以上にこいぬの歯の対処について、色々と調べ、日本ではまだ数の少ない歯科専門の獣医師さんに会いに行くのがいいということになりました。

2008年3月8日土曜日

手作り食へ-2006年8月

僧帽弁は治らない病気だということは理解していても、漢方やホーリスティックケア、食生活をかえることで、どうにか奇跡的に治らないか、治らないとしても進行が止まらないかということを、当時の私たちは切に願っていました。

食事療法や漢方だけでこの病気が奇跡的に治るなどということは、絶対にありえないのでしょうが、当時の私たちは藁をもすがる思いで、色々なことを調べては実行していきました。 そこでまずは、それまでの食事(生肉や鳥のささみ、多少のお野菜以外はNatural Harvestのドライフード)をやめて完全な手作り食に変えることを決意しました。

手作り食にしようと私が決意したきっかけは、僧帽弁不全が発見されたのに、数ヵ月後逆流現象が奇跡的に全くがなくなった(=治った!)というキャバリアの子のブログを読んだからです。そのブログは、残念なことに何かしらの理由で最近非公開にされてしまったのでご紹介はできないのですが、そこに記されていたレシピを元に、我が家でアレンジして作っていた手作り食をできるだけ、記憶に忠実にご紹介します。

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〔材料〕

きゅうり ・人参 ・かぼちゃ ・りんご ・りんご酢

・かぶ ・トマト ・小松菜 ・ごぼう ・白菜 ・ブロッコリー ・大根 ・じゃがいも ・アスパラ ・さつまいも
・その他野菜 ・しょうが(少々) ・にんにく(少々)  

・ひじき ・昆布 ・干しいたけ

・小豆 ・十穀米 

・鶏がら

・そば粉 

・牛赤身肉 ・鶏ささみまたは胸肉

・フィッシュオイル(オメガ3)・エンザイム・フラックスシード 


〔作り方〕
①Aの野菜のみフードプロセッサーで細かくすり潰し、りんご酢を少かけしる。Aの野菜にはアスコルビナーゼが入っているため、Bの野菜と一緒にすると、ビタミンCが破壊されてしまうので、まずは、酢をかけた後、少し加熱しておく。(アスコルビナーゼとは、ビタミンCを酸化して還元作用=活性酸素を除去する能力を失わせる酵素のこと)

②Bの野菜をフードプロセッサーで細かくすり潰す

③Cは、水で戻す。ナトリウムを少なくするため、通常よりながめに水につけて塩気を抜き、その後、フードプロセッサーで細かくすり潰す

④Dの小豆は圧力鍋で煮る。十穀米は炊く。その後、フードプロセッサーで細かくすり潰す

⑤Eの鶏がらでスープを作っておく。鶏がら以外は何もいれない

⑥ ①~③を一緒にし、少々煮込む。(あまり加熱しすぎないようにする)

⑦ ④⑤⑥を一緒にし、最後にFのそば粉をまぜ、一食ごとにラップやフードセイバー(密閉する機械)などで、包んでおく。必要なだけ冷蔵、残りは冷凍庫へ

⑧1食ずつたべる際に⑦を自然解凍させ、Gの牛生肉または、蒸した鶏肉をまぜる。最後にHのフィッシュオイルとコエンザイム等をかける。

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我が家の場合は、この手作り食を土日に数時間かけて作り、大体1週間分作りおきしてあげていました。食材は、心臓病によい栄養素が多く含まれているものを調べ、すこしづつ違うものを混ぜながらあげていました。

最初は、こいぬがこの食を気に入るのかとても不安でしたが、あげてみると、とても気に入ったようで毎食残さずキレイに食べていました。そもそも食いつきの悪い子でしたが、この食事になってからは食欲も増し、初めてから2週間位経つと、見るからに元気になり、毛のツヤも以前よりもとてもよくなりました。

考えてみれば3kgしかない小さな動物ですから、人間以上に、食事がその子の体力や見た目にすぐに反応するのは当たり前かもしれません。でも、実際に手作り食にしてからの、こいぬの見るからの変化には正直とても驚きましたし、どうしてもっと早くから手作り食にしてあげなかったのか後悔をしました。

こいぬは、このころ、本当に少しですが、夜になると咳をしていました。見た目は、今まで以上に元気になり、色艶もとてもキレイでしたが、それでもあの独特な咳の音を聞くと、いつも胸が詰まる思いでした。

こいぬとボール


病気が分かる前までは、前にも書いたように本人の気の済むまでボールで遊んであげていました。しかし、さすがに病気が分かってからは制限せざるを得なくなりました。といっても全く止めたわけではなく、公園に行って2-3回くらいやって帰ってくるというふうです。そのかわり、散歩は前よりもむしろ長く行っていたと思います。

この病気にかかってまず言われることは、心臓に負担が掛からないようになるべく運動させないようにということです。もちろんその通りでしょうが、私達は、本人がなるべくストレスをためないようにしてあげることが同じくらい大切だと考えたのです。

今から考えると、運動させたことが、こいぬの寿命を少しずつ短くしていたのかもしれません。もしそうだとしても、大好きなボール遊びをやめてまで、長生きしてもしょうがないと本人は思ったに違いないと思います。

2008年3月1日土曜日

日本獣医大にて


病院に来て、小山先生に告げられるその瞬間まで、こいぬが心臓病だということは無いのではないかと思っていました。その直前に行った獣医さんに問題無いと言われたこともありますが、やはりそう信じたくないという気持ちがそう思わせていたのでしょう。

ですから、僧帽弁閉鎖不全症という病名を告げられ、しかも、進行度は『中の中』(Levineの)6段階中3から4と言われたときは、目の前がすうーっと暗くなり、その場で貧血で倒れそうになりました。お恥ずかしい話ですが、先生の説明も全く頭に入ってこなかったし、質問をすべきなのに、何も浮かんできませんでした。しかし、カラードップラーの画像は説明を聞くまでも無く、こいぬの心臓の中で、血液が逆流していることを本当に生々しく伝えていました。

先生は、そんな私達のショックを察してか、『15歳以上生きた子も珍しくないので、うまく薬を使えば、進行を遅らせることができる』とおっしゃってくださいました。また、私達の住んでいる近くの病院を教えて下さり、わざわざその先生に電話で病状を説明をして下さりました。

犬の医療制度について 

ご存知のとおり、僧帽弁閉鎖不全症は、犬の心臓病では最も多い病気といわれています。特に、キャバリア、マルチーズ、チワワ、プードル、ダックスフント、ミニチュア、シュナウザー等の小型犬が発症率が多いそうです。一般的には、老年期に後天的に発生し、年齢とともに増加していくということで、16歳になると75%がこの病気を持つと言われています。

しかし、これだけ発生率が多い病気にもかかわらず、実際に、その診断をするために必要なカラーエコーを持っている町の獣医さんは、とても少ないと思います。設備投資に相当お金がかかるのだと思いますが、もう少し簡単にカラーエコーが受けれるようになることは重要なことだと思っています。

なぜならば、そのカラーエコーがないと、本質的な僧帽弁閉鎖不全症の進行状況(血液が左心室から左心房へ逆流している状況や量)を把握することは難しく、そのことがわからないと、薬の種類や投与量などが判断しにくいはずだからです。

しかし残念なことに、多くの獣医さんをみていると、また飼い主の方のブログなどを読んでいても、そのほとんどは、カラーエコーをせずして診断されているケースが多くあるように思います。また、仮にご自分の病院でエコーがない場合でも、大学病院などで診てもらったほうがよいということを、真摯にすすめていただける獣医さんが少ない現状にも、個人的にはとても不満を持っています。

獣医さんの立場にたつと、カラーエコー1台の投資や専門医の導入も、経営を圧迫する大変なことなのかもしれません。ある意味、これだけペット人口が多い日本であれば、国の制度的なことの導入もしていく必要があるかもしれません。たぶん、犬の保険ぐらいでは、この状況は変えきれないと感じています。

ただ「これだけ人間社会で高度医療がすすんでいる世の中で、なぜ動物医療はまだまだなのか?」という問いに対し、「そもそも人間社会と動物社会を同じに捉えていること自体が理解できない」という方も多くいると思いますし、私の周囲ですら、なぜ、こんなに私たちが一生懸命、一匹の犬の生命を救おうとしているのかすら、理解しがたいと思ってた人が多くいたと思います。ただ、私自身は、犬が自分たちの家族である、と思っている多くの愛犬家、また他の動物を愛している方も含め、今のこの獣医さんの現状を少しでも改善していただけないかという思いは切なる気持ちです。

カラーエコーの結果

日本獣医大で小山先生にお会いして、いままでの状況を話した結果、精密検査をすることになりました。血液検査、心電図、レントゲン、カラードプラーエコーをした方がよいということで、こいぬを先生にお預けし、私たちは待合室で約45分位待っていました。

アシスタントの方に名前を呼ばれ診察室に入ると、小山先生の他に助手の方やインターン生が5名位いました。そこで先生から「こいぬ君は、残念ながら僧帽弁閉鎖不全症です」とはっきりと宣告されました。先生曰く、エコーの逆流状況からすると、進行ランクは、中の中から中の高。心臓肥大はあまりしていないということでした。

あまりのショックで、正直、その後何を先生に聞いたのか、先生が何をおっしゃったのか、正確には覚えていません。

ただ、今後の治療としては、こいぬの病状を確かめながら、血圧を下げたり、心臓の筋肉が拡大するのを抑えたりする、心臓の保護薬を投与して、病気の進行を抑える治療をおこなっていくのがいいでしょう、ということでした。そこでまずは様子をみてみるということで、1ヶ月間ぐらいの薬をもらいました。その時いただいた薬は、フォルテコールです。

それから、私たちは、決まったホーム獣医さんがいませんでしたので、家の近所の先生で、頻繁にこいぬが通える病院を紹介してほしいと、我侭を申し上げました。小山先生は、先生の後輩で、私たちの近所の動物病院を紹介してくださりました。そこの病院にいけば、フォルテコールもあるので1ヶ月後までの間にそこへいくことにしました。ただ、カラーエコーで進行状況を診ていきながら、処方を変えていくということは、日本獣医大でしかできないということでしたので、確か2ヵ月後に予約をして帰ったと記憶しています。

とにかく、この日を境に私たちは、すべての世界がグレーに写る程の強いショックを受けました。主人など、診察室であまりのショックに目元がクラクラし、倒れそうだったといっていました。若干8歳のこいぬが、元気で毎日とびまわっているこいぬが、咳などほとんどしていないこいぬが、それでもすでに中の中ぐらいまで進行している心臓病など信じられませんでしたが、その事実を受け止めなくてはいけない辛い日々が始まったのです。

2008年2月24日日曜日

日本獣医大へ行く-2006年4月

僧帽弁閉鎖不全症の告知を受けてから
約2ヶ月後の2006年4月、
熊本動物病院の土井口先生の勧めを受けて、
日本獣医生命科学大学動物医療センターに行くことに決めまた。
http://www.nvlu.ac.jp/NVLU_HP_RENEWAL/html/014_facilities/01/01_01.html

それまで、一度も獣医大学病院などに行った事がなかったですし、
5つも行った町の獣医さんの誰一人として、大学病院への通院を
勧めて下さらなかったので、当然推薦状もありませんでした。

一般的に獣医大学病院というところは、推薦がないと予約は難しいのかな?と
少し躊躇していたのですが、日獣医大動物医療センターに実際に直接電話を
してみると、以外にあっさりと予約を取ることができました。一週間後の予約です。

こいぬをみていただくことになったのは、循環器の小山先生です。

小山先生は、日本獣医循環器学会でも副会長をされており、
僧帽弁の内科的治療の領域では、たくさんの論文を出したり
専門学会も開催されている様子でした。
http://www.jsvc.jp/


人間界の場合、論文や学会にたくさん出ている先生=名医では決してないと
思うのですが、 獣医の場合、とにかく、町の獣医の多くは「専門性がない」
ことが明白で、 何か特定の疾患の場合は、とにかくその専門領域を
追求している数少ない獣医さんに出会えるかどうかが正直、肝になると思います。

症例数、最先端の研究、内科的外科的治療法、そのすべての意味で、
とにかく僧帽弁に一番強い先生にお会いして「こいぬの真実」を聞こう、
2006年4月、そんな思いで、武蔵境の日獣医大動物医療センターへ足を運びました。

病院とこいぬ


それにしても、本当に信頼できる獣医院と出会うのはなんと難しいことかと思います。こいぬの場合、良く行くところはありましたが、本当の意味でのホームドクターは残念ながらいませんでした。

獣医嫌いの子の場合、その子がなつく先生が一番いいのだと思いますが、幸か不幸かこいぬは獣医を全く嫌がりませんでした。
生後半年のワクチン注射のときも、注射が終わったあと、先生の手をペロッと舐めて、先生を感激させたくらいです。もちろん、一瞬痛みを感じるはずですが、たぶんそれが自分のために良いことをしてくれているのだと分かっていたのだと思います。

こいぬは、獣医のみならず、誰かに嫌な思いをさせられたという経験が一度も無かったのだと思います。そもそも『悪意』という概念自体持つことがなかったのでしょう。 そういう意味で本当に幸せな犬だったと思います。

写真はこいぬお得意のリラックスポーズです。

「こいぬは本当に心臓病なの?」

「こいぬは本当に心臓病なの?」

この疑問を払拭するため、(もちろん、心臓病じゃないということを)私たちは、徹底的に情報収集をはじめました。インターネットでは、GoogleやYahoo!で「僧帽弁 犬」「心臓病 犬」とかキーワードを入れながら、とにかくいろんなサイトを探し、徹底的に見ていきました。
また専門学会の本を取り寄せたりとしていきました。人間用の心臓病の専門医学書も読み人の場合、僧帽弁閉鎖不全症は今は外科的手術でほとんどの場合治っているという情報も知りました。

ただ、いくら情報をとっても、結局のところ「こいぬ自身が心臓病なのかどうか」ということは、「心雑音を聞く」というだけではわからないことを悟りました。レントゲンも、心臓肥大の状況をビジュアルで把握するだけですので、極端にいうと「この子の心臓の大きさは生まれつきの奇形なのかもしれない、、、」などと推測しはじめると、これも僧帽弁閉鎖不全症という病気かどうかは言及できません。特に、こいぬの場合、レントゲンでは、あまり大きな肥大も確認できなかったのでそういう意味でも私たちにとっては、微妙な診断だったという感じでした。

また、実はトムズ動物病院で心臓病を告知されてから、私達は懲りずに、もう一つ違う獣医さんに行ったのですが、そこでは、心雑音と心電図をされ、「絶対にこいぬ君は心臓病ではないです」と断言されたこともあり、もう何を信じていいのか、わからない状況に陥っていました。

そんな時、読んでいた、獣医専門学会書のひとつに
JVM獣医畜産新報
「僧帽弁閉鎖不全症の診断と重症度評価-土井口修」
http://www.buneido-syuppan.com/jvm0506.html

というのがあり、この土井口先生は、「心雑音」「レントゲン」「カラードップラーエコー」の3つを総合して、その重症度を評価するという論文を書かれていました。

その論文を読んだ私は、熊本動物病院の土井口先生に失礼と思いながらも東京から先生にお電話をしてしまいました。

私が突然電話をし、今のこいぬの状況を話したところ、先生は、まったく嫌な声も出さず、「それはまだ誤診とも正しいともなんともいえないので、とにかくカラーエコーをしなさい」と助言いただき、日本獣医大学の小山先生のお名前を出され、土井口から言われたとアポを入れたらどうかと言われたのです。
土井口先生には、面会もしていないのに、ここまで助言いただき、とても感謝しています。

こうして私達は、日本獣医大学へ足を運ぶことになりました。

また、これ以上、町の獣医に行っても意味がない、結局、いろいろな情報を得た結果、私たちの行き着いたことは「僧帽弁における逆流現象そのもの」を図ることができる「カラーエコー」で検査する以外にはないのではないかということでした。

2008年2月16日土曜日

心臓病が発覚した日 II


先生には本当に申し訳ないと思っていますが、はっきり言って誤診であると確信していました。

それまで、時々お腹をこわすくらいで、たいした病気も無く、8歳とはとても思えないくらい元気で活動量の多い子でした。公園でボールを投げてやると、全速力で追いかけていき、得意げに咥えて持ってきます。しかもこちらが腕が疲れるくらいエンドレスになのです。 とても病気とは思えませんでした。

咳については、今思うと確かにしていたのだと思います。しかし、私はその時はそれが咳だとは思いませんでした。人間の咳とは全く違い、どちらかと言えばくしゃみに近いものでした。 

しかし、万が一ということもあるので、とにかく徹底的に調べようということになりました。

心臓病が発覚した日-2006年2月

2006年2月、私たちは「こいぬももう8歳になるから、たまには健康診断でも受けてみようか?」という軽い理由から、逗子にあるトムズ動物病院に検査をしてもらいにいきました。

その日の夕方、先生から「心雑音が聞こえるので、レントゲンをとりましたが、心臓も肥大している様子です。これは、僧房弁閉鎖不全症という心臓病ですね」と言われました。こいぬは、とても元気で何一つ今までと変わらない様子でしたし、あまりの突然の通告に、その場では、こいぬの心臓病を信じることができませんでした。先生は「こいぬ君は咳はしませんか?最近、疲れている様子はありませんか?」と聞いてきましたので、私たちはないと思うと答えました。

ただ、実はこの1-2年ぐらい前に、こいぬが夜中に何度か変な咳をすることがあって、それを診てもらう為に、3つの動物病院で、計4名の先生にかかった経験がありました。計4名の先生が診たという理由は、実は、最初にかかった病院の先生は「こいぬ君は、心雑音がするので心臓病かもしれない」といったのですがあまり自信がなかったらしく、同じ病院の他の先生がその場で聴診器を当てたところ「心雑音はない」と言われました。ちなみにその病院は鎌倉では有名なK動物病院というところなのですが、その対応に私たちは信じられなくなり、その後、違う病院に行き、同じように診てもらいました。結局、2つ目の病院でも「心雑音はしない、この子は心臓病ではないですよ。安心していいです」とかなり強く言われました。ただ、その後それでも気になったので、もうひとつ違う病院にも行きましたが、そこでもやはり心雑音はしないといわれ、その時は安心したのです。

トムズの先生に、その時の事を話しましたが、「それから1年も経っているならばそれから悪くなったのかもしれないですね」といわれ、「とにかく心臓病は確かなので、今日から薬をはじめたほうがいいかもしれない。この病気は治すことはできないけど、少しでも心臓への負担を減らすことで、悪化を防ぐことができるのです。本動物病院では、チバセンという人間用の薬を処方していますがどうしますか?」と言われました。

私たちは、すでに心臓病の件ではこの2年間に計5名の先生に診てもらっているわけで、それが突然、やはり心臓病でしたといわれても、何もかも信じられずに、その日は何の薬ももらわずに、帰宅しました。

ちなみに、チバセンとは、ACE阻害薬の一種ですが、人間用のお薬でおもに血圧が高い人などが飲んでいる薬です。血圧を上げる「アンジオテンシンⅡ」という体内物質の生成をおさえます。これにより、体の血管が広がり、また水分や電解質が調整されて、血圧が下がります。心臓や腎臓の負担を軽くする効果もあるそうです。もちろん、その日の私たちは、そんな予備知識もなく、ただ、とりあえず、先生が処方したいといった薬の名前だけ覚えて、その日の夜、インターネットで検索してはじめて、ACE阻害薬という言葉を知りました。

「こいぬは、本当に心臓病なのか???本当だったら、どんな風になってしまうんだろう???」

私たち夫婦にとって、この信じがたいというよりも信じたくもない問いはどんなことよりも最重要事項となり、、この日を境に、追求の日々が始まったのでした。

はじめに-このブログについて

このブログは2007年2月15日、9歳5ヶ月で天国に旅立ったトイプードル、こいぬ(本名です)の治療の記録です。

こいぬはその前の日、数時間に及ぶ大手術を乗り切ったのですが、残念ながらその翌日、心不全で息を引き取りました。

私達夫婦は、手術をするかどうか本当に迷いました。二人で徹底的に議論しました。勿論、色々な文献やウェブサイトを調べまくりました。考えに考え抜いた末、手術をすることに決めました。

悲しい結果になりましたが、今でもその決断は正しかったと思っています。勿論、それは私達の子にとってということで、他の子にとってもそうだというわけでは有りません。ただ、私達がどのように決断し、実際どういう経過を辿ったかを記すことで、あの時の私達のように悩み、迷っている飼い主の方にとって参考になることがあるのではないかと思います。そして、そうやってほんの少しでも他の子のためになれるのならば、頑張って手術を耐えたあの子も喜んでくれると思っています。

本当はもっと早く始めようと思いながらも結局あれから一年が経ってしまいました。細かいところの記憶が少しずつあいまいになっているかもしれません。どこまで正確に思い出せるか自信がありませんが、できる限りトライしようと思います。