2008年6月1日日曜日

2007年1月26日-東京農工大学 手術前の最後の診察

2007年2月14日をこいぬの手術日と決めていましたので、その2週間前の金曜日が事実上、最後の診察日となりました。いつもどおり、エコーやレントゲンをやりましたが、前回からたった2週間しかたっていないにも関わらず、あきらかに素人でもわかるぐらいに、こいぬの僧帽弁閉鎖不全症は進行していました。たしかに、この前後で、こいぬの咳は、夜中になると毎晩というほどに頻度が増えていましたし、またその音も水を吐き出すような「ゲホッゲホッ」というとても苦しそうな濁音でした。犬の咳はよく「カッ」という咳というよりもくしゃみに似た音を出すと言いますが、このころの時期のこいぬの咳は、それとはまったく異質のものでした。

その日、農工大で「こいぬ君の僧帽弁はあきらかに悪くなっています。よって、手術自体にもリスクが高まっていますが、手術をしないと進行は更に早まる危険性も高いでしょう」と言われました。前述したとおり、私たちは既に手術を決心していましたので、その言葉で気持ちが揺らぐことはありませんでしたが、それでもリスクの高まりまでは想定していなかったので、この日は本当につらかったことだけを覚えています。

僧帽弁は、一度悪くなるとその勢いで更に進行するといわれています。こいぬの今回の悪化がもし仮にその予兆だとすると、極端に言うと、2週間後の手術すら決行できないかもしれないと言われました。手術では手の施しようのないほどに僧帽弁が進行しているケースがあるそうです。しかしそれは開けてみないとわからないので、手術当日、胸をひらいてみて、下手すると何も手術せずに閉じるかもしれないということでした。手術を決意した今、私たちはとにかくこいぬが手術まで何事もなく過ごせる事を第一に考えました。そして、後は手術が成功することだけを、毎日祈るだけの繰り返しでした。

こいぬは、咳をする以外は食欲もあり、また遊びたいという欲求も今まで通りでした。ボールを持ってきても、外に出たがっていました。私たちはそれを止めていることがとても辛かったのですが、この間に僧帽弁が少しでも進行してしまうことだけは絶対に避けなくていけないことだった為にすべてのお遊びをやめていました。お散歩だけは、ほんの少しだけ歩くようにしていました。しかし一方で私の頭の片隅には、手術がもし成功しなかったら、こいぬにとっては最後のお遊びかもしないのに、と思うと、切なくてかわいそうでなりませんでした。

こいぬには「手術が終わったら、おもいっきり遊ぼうね。頑張ろうね」といつも声をかけていました。こいぬの僧帽弁手術の日まで、後19日です。

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