2008年5月18日日曜日

手術のタイミング


山根先生が仰るに、仮に手術をするとしてもいつがベストのタイミングかを決めるのが非常に難しいということです。

勿論、早くやればそれだけ、まだ体力があるので、成功する確率は高くなります。

しかし、仮に成功したとしても、何年か後にはまた再発する可能性が無いとはいえません。特に、人工弁への置換を行った場合はやはり、経年劣化を考えなければなりません。もしそうだとして、その時に再手術というのはあまり現実的ではありません。年齢のこともありますし、癒着という問題があるからです。
また、確かにエコーでは進行が認められても、実際にはピンピンしているときに、あえてリスクを取って手術するというのは、やはり決断しずらいものです。

しかし私は、前にも書いたように延命ということよりも、もう一度思いっきり公園で走らせてあげたい、ということを考えていましたので、仮に手術をするならば一日も早く元気なうちにと決めていました。

苦悩の末に

 心配そうな顔をするこいぬ
 私を励ますこいぬ

昨今、犬の寿命が延びていると言われていますが、心臓病が発覚する前まで、こいぬは少なくとも16、17歳位は、うまくいけば20歳までは生きると本気で考えていました。今考えると何も根拠はないのですが、それ位にこいぬとの繋がりを信じていたのだと思います。

僧帽弁閉鎖不全症を告知された時、こいぬは8歳でした。獣医さんには「うまくいけば数年は生きられます」と励まされましたが、その数年というのはたとえ5年だとしても13歳。しかもその数年で確実に心臓は悪くなり、その間に何度も苦しい思いをし命を落とすこともありえます。人間でいうと、手の施しようのない少し遅い進行性の癌に近い、、といっても過言ではないと思います。

私たち夫婦は、こいぬの心臓病を宣告されてから何度も話し合いをしました。宣告された当初は冷静でいられませんでしたが、それでもひとつだけ決めたことがありました。それは”こいぬのためにいいこと”を何よりも優先して決断するということでした。いつか訪れるかもしれない僧帽弁の独特の苦しみ、いわゆる肺水腫などがきた時に、こいぬが本当に辛そうにしていたら安楽死をさせることになるかもしれない・・・ということも話し合っていました。

手術の選択を前にして、
「こいぬが人間だったら、こいぬはどんな決断をするだろう?私がこいぬの立場だったら手術を選ぶかな?」
こいぬを撫でながら私はそんな風を考えていました。こいぬは本当に頭のよい賢い子でしたので、私が心配そうな顔をするとすぐに察するようにじーと私を見つめます。私が笑うと彼も笑い返します。だから、彼の前であまり辛い顔ができなかったことも私はとても辛かった記憶があります。

結局、どのように手術を決断をしたのか自分でも覚えていないのですが、決断というよりはむしろ決意を固めていった、という方が正しいのかもしれません。私は、知らず知らずのうちに、こいぬの手術の成功を毎日シュミレーションするようにしていました。そして「みんなでがんばって乗り切ろうね、こいぬなら成功するから大丈夫だよ」と毎日こいぬに声をかけていました。手術をしないと確実に進行はすすんでいき、その時に苦しんでいるこいぬを見て後悔することがあったら私は自分を許せなくなるとも考えました。決断という程かっこいいものではなく、そんな風にしながら自分の中の気持ちを少しづつ整理させて、手術に挑む勇気をつけていったような記憶があります。

それでも、一人になると私はいつも泣いていました。こいぬの手術が失敗するのではないかと不安で不安で、なぜか頭の中には、失敗する瞬間のシーンが浮かんできてしまうのです。パパとこいぬと離れて一人になると、急に不安が増すのか、緊張から開放されるのか知らない間に涙が溢れてきてしまうのです。友達に会っていても、実家の家族にあっていても、会社の同僚や部下と仕事の話をしていたときですら、手術への不安がまったく解決されない状況でした。そのため、いつだれにあってもすぐに、私は手術の話をしていました。きっと周りの人の中には、犬のための手術でここまで考えるなんて変と思った人もいたかもしれません。

そんな風にしながら、時間が刻一刻と過ぎていったのです。