2008年3月30日日曜日

パパの読書を邪魔するこいぬ



パパが本を読んでいると、こいぬはすぐに邪魔をしようとします。僕と遊べ!と言わんばかりに、頭に乗ってきて体を摺り寄せてきます。何ども邪魔をしようとしては、パパに嫌がられ、そのうちに諦めて、パパに体をくっつけたまま寝てしまうこともよくありました


コーミング

こいぬのコーミング(くし)はほぼ、毎日やっていました。敏感な部分は少し痛いらしく、くしに向かって怒りをぶつけます(写真)。

ですから、こいぬにとって、コーミングは毎日の試練だったはずなのですが、あきらめていたのか、私がくしを取り出すと、自分からトボトボとやってきて、私に背を向けて、お座りするのです。

前にも書きましたが、こいぬにとって、なにか不快なことをされることは、自分にとって良いことをしてもらうことだと理解していたのだと思います。

そういう意味で、何故歯磨きも毎日してあげなかったのか、悔やまれてなりません。

杉並犬猫病院へー2006年11月

先日も書きましたが、心臓病と付き合う上で、歯は非常に重要なことです。

こいぬの場合、歯をきちんと磨く習慣がなかったこと為スケーリングをしていましたが、心臓病発覚後、麻酔をかけることができなくなり、歯は大きな問題になりました。情けないながら、当時はシリアスに捕らえていませんでしたが、歯を磨く習慣もありませんでしたし、それ以前に心臓病が発覚した時にはすでに歯石がついており歯周病に近い状態だったと思います。

色々と調べて歯を専門にした獣医師の先生がいるということがわかりました。歯科・獣医学博士の奥田綾子先生という方です。色々と悩みましたが、結局、奥田先生に診ていただくことを決意しました。杉並犬猫病院に毎週月曜日に特別診療で奥田先生がいらっしゃるので、まずは一度杉並犬猫病院の一般診断にかかり、その後予約をとって、約1ヶ月がかりで奥田先生にお会いすることができました。

「あなたたちは一体いままで何をやっていたの!」
初めてお会いした奥田先生は、こいぬの歯の状態をみて、私達に向かって大声で怒鳴るようにいきなりそうおっしゃいました。

一瞬、私は先生が、なぜそんなに怒っていらっしゃるのか、わかりませんでした。 私も主人も、奥田先生のように、感情を表に出してまでこいぬのことを心配してくださる獣医さんにお会いしたことがなかったので、最初は困惑しましたが、お話しをしているうちに、要するに「飼い主として、心臓病の子に歯周病を併発させるなんてことをなぜしたのか!もっと、早くから歯を磨いたり、予防することができなかったのか?」ということでした。それ位に、こいぬの歯の状態がよくなかったのだということですが、かといって麻酔をかけるリスクを考えると簡単にスケーリングもできる状態ではない、、、そのどうしようもない程の状況にもっていってしまった私たちに強い憤りを感じられたのだと思います。

奥田先生のおっしゃるとおりです。後悔先に立たずです。先生とは、かなり長い時間話をし、結局、こいぬの場合は、このままの状態にしておくと歯が悪くなってしまうので、リスクをとってでも麻酔をかけて、スケーリングをした方がよいので、2ヵ月後にスケーリングをすることになりました。そこで、私のほうではまずは日本獣医大の小山先生にご説明し、こいぬに麻酔をどの程度ならばかけられるのかということをご相談することになりました。

また、その日から毎日歯を磨き、状態を悪くしないことを奥田先生とは約束しました。歯の磨き方を獣医師さんに教わることは初めてでしたが、先生は丁寧に歯の磨き方を教えてくださりました。ドラッグストアにある綿を買ってきて、自分の指に巻きつくくらいに小さく切り、中性水を少しつけて、嫌がらない程度に毎日磨くのがいいということでした。ただ、歯磨きで重要なことは、まずは歯を触ることを嫌がらないようにすることなので、最初のうちは、歯を磨かせてくれたら、ご褒美をあげたり、食事前に歯を磨いて、ご褒美がわりにご飯をあげてもいいので、絶対に強制はしないようにといわれました。

こいぬは、最初うちは歯みがきを嫌がりましたが、徐々に慣れてくると、私が歯磨きセットを取り出すと自分から諦めてなのか、トボトボ私の膝に乗るようにまでなりました。その後のご褒美には、「手作りのそば粉とアボガドのクッキー」をあげていましたがそれが欲しかったのだと思います。

2008年3月23日日曜日

こいぬと旅行

こいぬとは色々な所に一緒に旅行しました。病気が分かってからも、特に控えるというようなことはせず、むしろ今まで以上に行くようになりました。

病気だから家で一緒にじっとしているというのではなく、お互いストレス無く、楽しい時間を過ごすことが大事だと思いました。勿論、それは、こいぬ自身に辛そうな症状が殆ど無いこともあり、また、私達自身も、まだまだ何年もこいぬの病気と付き合っていかねばならないと考えたからでもあります。

この年(2006年)の9月には伊豆、11月には宮崎、そして12月には沖縄の宮古島に行きました。宮崎へは初めて飛行機に乗りました。飛行機ではケージに入れたうえで、ペット用の貨物室に乗せられます。気圧や温度の管理はされているので、大丈夫だとのことでしたが、さすがに、初めての体験で、怖がったり興奮してしまい、心臓に負担をかけるのではないか心配でしたが、降りた後も何事も無かったかのように落ち着いていたので、問題はなかったと思います。実際、宮崎に行った直後に、日本獣医大でレントゲンとエコーの検査をしましたが、前回と全く変わっていないと言われました。







沖縄の海で、何故か尻込みするこいぬ。

2008年3月16日日曜日

自覚症状?


犬の病気辞典などでは、僧帽弁閉鎖不全症が進行すると起こる症状に、咳が頻繁になる、散歩中に肩で息をする、食欲不振などが挙げられています。さらに進むと横を向いて寝ることも困難になるとあります。

しかし、こいぬの場合は、咳をするといっても明け方に1-2回程度ですし、その時も、全く苦しそうではありませんでした。食欲も手作り食に変えてからむしろ以前よりも増したようでした。そして、お気に入りのおもちゃを持ってきては遊んでくれとせがむのでした。もし心エコーをやっていなければ、最後まで心臓が悪いとは気付かなかったことと思います。

寝るときも写真のように、相変わらずへそを丸出しで寝ていました。『いつかこんな風に寝ることができなくなるのだろうか?』そう思うと、こいぬの寝姿が、一層愛おしく思えるのでした。

2008年3月15日土曜日

歯のこと

こいぬはそれまで、1年に一度、スケーリングで歯垢歯石をとってもらっていました。しかし、スケーリングをするためには、全身麻酔が必要でしたので、病気発覚後、今後、こいぬの歯をどうやって歯周病から守るのかこれは、とても難題でした。当時、私たちは、こいぬに歯磨きをほとんどしてあげていませんでした。もちろん何度かチャレンジはしたのですがすごく嫌がるので、あきらめてしまっていたのです。近所の獣医さんからも、「嫌がるならば無理に歯磨きをしなくても、年に一度スケーリングをすれば、大丈夫ですよ」と言われ、その言葉に甘えてしまっていました。

しかし、心臓病になってから歯周病の恐ろしさを知り、その時には、毎日歯を磨きをしていなかったことを本当に後悔しました。スケーリングは、確かにきれいになりますし、飼い主にとっては獣医さんに預ければ済むので簡単な処理です。しかし、1年に1度のスケーリングなどでは、歯周病を完全に防ぐこともできないし、また歯周病菌や毒素は、炎症をおこした歯肉や歯周ポケットから血管に入って心臓や腎臓、肝臓や肺にまでたどり着き、内臓をむしばむこともあるそうです。要するに、毎日の歯磨きをしていなかった事が、何かしらこいぬの心臓に悪影響があったかもしれないのです。

しかも、こいぬは心臓病が発覚した時、前回のスケーリングから既に数ヶ月経っていましたので、歯石も溜まり始めていましたし、また突然、私が歯磨きをはじめてもなかなかさせてくれませんでした。しかし、全身麻酔を伴うスケーリングをさせるわけにはいかず、八方塞がりの状況でした。

心臓病が発覚してから数ヵ月後、確か秋頃だったと思います。こいぬが急にご飯を食べなくなり、顔の右側を床にこすり付けてたり、前足で自分の口の辺りを何度も拭っていた時期がありました。すぐに獣医さんに連れて行くと、それは歯が炎症を起こしているということ。このままでは、歯が抜けるかもしれないし、場合によっては、顔に穴が開く!事もあると言われました。本当ならば、麻酔をして歯を抜くらしいのですが、こいぬは麻酔ができないので、とりあえず、消炎剤のみで様子を見ることになりました。結局、5日ぐらいで炎症は治まり、歯も抜けずに皮膚の穴も開かずに済みました。

このことを機に、いままで以上にこいぬの歯の対処について、色々と調べ、日本ではまだ数の少ない歯科専門の獣医師さんに会いに行くのがいいということになりました。

2008年3月8日土曜日

手作り食へ-2006年8月

僧帽弁は治らない病気だということは理解していても、漢方やホーリスティックケア、食生活をかえることで、どうにか奇跡的に治らないか、治らないとしても進行が止まらないかということを、当時の私たちは切に願っていました。

食事療法や漢方だけでこの病気が奇跡的に治るなどということは、絶対にありえないのでしょうが、当時の私たちは藁をもすがる思いで、色々なことを調べては実行していきました。 そこでまずは、それまでの食事(生肉や鳥のささみ、多少のお野菜以外はNatural Harvestのドライフード)をやめて完全な手作り食に変えることを決意しました。

手作り食にしようと私が決意したきっかけは、僧帽弁不全が発見されたのに、数ヵ月後逆流現象が奇跡的に全くがなくなった(=治った!)というキャバリアの子のブログを読んだからです。そのブログは、残念なことに何かしらの理由で最近非公開にされてしまったのでご紹介はできないのですが、そこに記されていたレシピを元に、我が家でアレンジして作っていた手作り食をできるだけ、記憶に忠実にご紹介します。

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〔材料〕

きゅうり ・人参 ・かぼちゃ ・りんご ・りんご酢

・かぶ ・トマト ・小松菜 ・ごぼう ・白菜 ・ブロッコリー ・大根 ・じゃがいも ・アスパラ ・さつまいも
・その他野菜 ・しょうが(少々) ・にんにく(少々)  

・ひじき ・昆布 ・干しいたけ

・小豆 ・十穀米 

・鶏がら

・そば粉 

・牛赤身肉 ・鶏ささみまたは胸肉

・フィッシュオイル(オメガ3)・エンザイム・フラックスシード 


〔作り方〕
①Aの野菜のみフードプロセッサーで細かくすり潰し、りんご酢を少かけしる。Aの野菜にはアスコルビナーゼが入っているため、Bの野菜と一緒にすると、ビタミンCが破壊されてしまうので、まずは、酢をかけた後、少し加熱しておく。(アスコルビナーゼとは、ビタミンCを酸化して還元作用=活性酸素を除去する能力を失わせる酵素のこと)

②Bの野菜をフードプロセッサーで細かくすり潰す

③Cは、水で戻す。ナトリウムを少なくするため、通常よりながめに水につけて塩気を抜き、その後、フードプロセッサーで細かくすり潰す

④Dの小豆は圧力鍋で煮る。十穀米は炊く。その後、フードプロセッサーで細かくすり潰す

⑤Eの鶏がらでスープを作っておく。鶏がら以外は何もいれない

⑥ ①~③を一緒にし、少々煮込む。(あまり加熱しすぎないようにする)

⑦ ④⑤⑥を一緒にし、最後にFのそば粉をまぜ、一食ごとにラップやフードセイバー(密閉する機械)などで、包んでおく。必要なだけ冷蔵、残りは冷凍庫へ

⑧1食ずつたべる際に⑦を自然解凍させ、Gの牛生肉または、蒸した鶏肉をまぜる。最後にHのフィッシュオイルとコエンザイム等をかける。

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我が家の場合は、この手作り食を土日に数時間かけて作り、大体1週間分作りおきしてあげていました。食材は、心臓病によい栄養素が多く含まれているものを調べ、すこしづつ違うものを混ぜながらあげていました。

最初は、こいぬがこの食を気に入るのかとても不安でしたが、あげてみると、とても気に入ったようで毎食残さずキレイに食べていました。そもそも食いつきの悪い子でしたが、この食事になってからは食欲も増し、初めてから2週間位経つと、見るからに元気になり、毛のツヤも以前よりもとてもよくなりました。

考えてみれば3kgしかない小さな動物ですから、人間以上に、食事がその子の体力や見た目にすぐに反応するのは当たり前かもしれません。でも、実際に手作り食にしてからの、こいぬの見るからの変化には正直とても驚きましたし、どうしてもっと早くから手作り食にしてあげなかったのか後悔をしました。

こいぬは、このころ、本当に少しですが、夜になると咳をしていました。見た目は、今まで以上に元気になり、色艶もとてもキレイでしたが、それでもあの独特な咳の音を聞くと、いつも胸が詰まる思いでした。

こいぬとボール


病気が分かる前までは、前にも書いたように本人の気の済むまでボールで遊んであげていました。しかし、さすがに病気が分かってからは制限せざるを得なくなりました。といっても全く止めたわけではなく、公園に行って2-3回くらいやって帰ってくるというふうです。そのかわり、散歩は前よりもむしろ長く行っていたと思います。

この病気にかかってまず言われることは、心臓に負担が掛からないようになるべく運動させないようにということです。もちろんその通りでしょうが、私達は、本人がなるべくストレスをためないようにしてあげることが同じくらい大切だと考えたのです。

今から考えると、運動させたことが、こいぬの寿命を少しずつ短くしていたのかもしれません。もしそうだとしても、大好きなボール遊びをやめてまで、長生きしてもしょうがないと本人は思ったに違いないと思います。

2008年3月1日土曜日

日本獣医大にて


病院に来て、小山先生に告げられるその瞬間まで、こいぬが心臓病だということは無いのではないかと思っていました。その直前に行った獣医さんに問題無いと言われたこともありますが、やはりそう信じたくないという気持ちがそう思わせていたのでしょう。

ですから、僧帽弁閉鎖不全症という病名を告げられ、しかも、進行度は『中の中』(Levineの)6段階中3から4と言われたときは、目の前がすうーっと暗くなり、その場で貧血で倒れそうになりました。お恥ずかしい話ですが、先生の説明も全く頭に入ってこなかったし、質問をすべきなのに、何も浮かんできませんでした。しかし、カラードップラーの画像は説明を聞くまでも無く、こいぬの心臓の中で、血液が逆流していることを本当に生々しく伝えていました。

先生は、そんな私達のショックを察してか、『15歳以上生きた子も珍しくないので、うまく薬を使えば、進行を遅らせることができる』とおっしゃってくださいました。また、私達の住んでいる近くの病院を教えて下さり、わざわざその先生に電話で病状を説明をして下さりました。

犬の医療制度について 

ご存知のとおり、僧帽弁閉鎖不全症は、犬の心臓病では最も多い病気といわれています。特に、キャバリア、マルチーズ、チワワ、プードル、ダックスフント、ミニチュア、シュナウザー等の小型犬が発症率が多いそうです。一般的には、老年期に後天的に発生し、年齢とともに増加していくということで、16歳になると75%がこの病気を持つと言われています。

しかし、これだけ発生率が多い病気にもかかわらず、実際に、その診断をするために必要なカラーエコーを持っている町の獣医さんは、とても少ないと思います。設備投資に相当お金がかかるのだと思いますが、もう少し簡単にカラーエコーが受けれるようになることは重要なことだと思っています。

なぜならば、そのカラーエコーがないと、本質的な僧帽弁閉鎖不全症の進行状況(血液が左心室から左心房へ逆流している状況や量)を把握することは難しく、そのことがわからないと、薬の種類や投与量などが判断しにくいはずだからです。

しかし残念なことに、多くの獣医さんをみていると、また飼い主の方のブログなどを読んでいても、そのほとんどは、カラーエコーをせずして診断されているケースが多くあるように思います。また、仮にご自分の病院でエコーがない場合でも、大学病院などで診てもらったほうがよいということを、真摯にすすめていただける獣医さんが少ない現状にも、個人的にはとても不満を持っています。

獣医さんの立場にたつと、カラーエコー1台の投資や専門医の導入も、経営を圧迫する大変なことなのかもしれません。ある意味、これだけペット人口が多い日本であれば、国の制度的なことの導入もしていく必要があるかもしれません。たぶん、犬の保険ぐらいでは、この状況は変えきれないと感じています。

ただ「これだけ人間社会で高度医療がすすんでいる世の中で、なぜ動物医療はまだまだなのか?」という問いに対し、「そもそも人間社会と動物社会を同じに捉えていること自体が理解できない」という方も多くいると思いますし、私の周囲ですら、なぜ、こんなに私たちが一生懸命、一匹の犬の生命を救おうとしているのかすら、理解しがたいと思ってた人が多くいたと思います。ただ、私自身は、犬が自分たちの家族である、と思っている多くの愛犬家、また他の動物を愛している方も含め、今のこの獣医さんの現状を少しでも改善していただけないかという思いは切なる気持ちです。

カラーエコーの結果

日本獣医大で小山先生にお会いして、いままでの状況を話した結果、精密検査をすることになりました。血液検査、心電図、レントゲン、カラードプラーエコーをした方がよいということで、こいぬを先生にお預けし、私たちは待合室で約45分位待っていました。

アシスタントの方に名前を呼ばれ診察室に入ると、小山先生の他に助手の方やインターン生が5名位いました。そこで先生から「こいぬ君は、残念ながら僧帽弁閉鎖不全症です」とはっきりと宣告されました。先生曰く、エコーの逆流状況からすると、進行ランクは、中の中から中の高。心臓肥大はあまりしていないということでした。

あまりのショックで、正直、その後何を先生に聞いたのか、先生が何をおっしゃったのか、正確には覚えていません。

ただ、今後の治療としては、こいぬの病状を確かめながら、血圧を下げたり、心臓の筋肉が拡大するのを抑えたりする、心臓の保護薬を投与して、病気の進行を抑える治療をおこなっていくのがいいでしょう、ということでした。そこでまずは様子をみてみるということで、1ヶ月間ぐらいの薬をもらいました。その時いただいた薬は、フォルテコールです。

それから、私たちは、決まったホーム獣医さんがいませんでしたので、家の近所の先生で、頻繁にこいぬが通える病院を紹介してほしいと、我侭を申し上げました。小山先生は、先生の後輩で、私たちの近所の動物病院を紹介してくださりました。そこの病院にいけば、フォルテコールもあるので1ヶ月後までの間にそこへいくことにしました。ただ、カラーエコーで進行状況を診ていきながら、処方を変えていくということは、日本獣医大でしかできないということでしたので、確か2ヵ月後に予約をして帰ったと記憶しています。

とにかく、この日を境に私たちは、すべての世界がグレーに写る程の強いショックを受けました。主人など、診察室であまりのショックに目元がクラクラし、倒れそうだったといっていました。若干8歳のこいぬが、元気で毎日とびまわっているこいぬが、咳などほとんどしていないこいぬが、それでもすでに中の中ぐらいまで進行している心臓病など信じられませんでしたが、その事実を受け止めなくてはいけない辛い日々が始まったのです。